まずは「私」の幸せから

(2013年12月31日の記事)

冬到来のシアトル。暖炉の出番です。

火を焼べると、まっさきにやってくるのはクロネコのKOKO
燃えるオンナは火を恐れない? 男子のKIKIはどこへやら姿をくらます。

今年はイブの日に慌ててツリーを出した我が家。

しかもクリスマス当日は時差ボケで体調も芳しくなかった私たち。
というのも、実は12月中旬から日本に帰っていたのです。

今回は期間も短く駆け足の帰省だったが、1日だけ市内をバスで観光することができた。
鹿児島育ちの私は観光バスに乗るなんてもちろん初めて。

あいにくのお天気だったが
城山でなんとも風格のある、雄々しい「よかにせ(イケメン)」の木に遭遇。思わずパチり。

これ、空から降ってくる全てを受け止める大きな「手」のように見えませんか?

仙巌園(せんがんえん)
最後にここを訪れたのは20年以上前、大学生のときかも?
当時は「磯庭園(いそていえん)」と呼ばれていたのだが
薩摩藩19代当主「島津久光」の別邸で、今でも変わらぬ鹿児島の観光スポットのようだ。

お屋敷の中も見学させていただく

夫のとなりに立っている着物姿の女性↑は ガイドの方で
ひとつひとつのお部屋を、それは丁寧に細かく説明して下さった。

お屋敷内は写真撮影が限られていたのでお見せ出来ないのが残念だが
藩主が実際に使っていたお風呂、トイレ、寝室などを見る事ができる
非常に興味深いツアーだった。

ツアーの最後にお抹茶と和菓子をいただく夫

お天気の良い日にお屋敷から見える壮大な桜島
(こちらはウェブサイトより拝借)

鹿児島にお越しの際には是非お立ち寄り下さい。おすすめスポットです。

帰国中に、高校時代の友に会い

“自分の親が高齢になるにつれ、自分を育ててくれた頃の親とは違う人間になってゆく”

という話をした。

シアトルに戻ったら

“里帰りで再会した一人暮らしの母親の様子がおかしく、このまま日本に留まざるを得ず
シアトルには帰れない。急きょ仕事をキャンセルせねばならなくなった”

という、同僚の先生からの知らせが届いた。

この世のものはすべてが無常だ...人間しかり。

誰もが例外なく、老いて、変化して、去って逝く。
このサイクルから見事抜け出ることに成功した人間は、人類の歴史始まって以来
一人もいたことはない。

身体だけにとどまらず、人のこころも無常。
絶えず変化する。

どんな人であっても同じこころの状態を永遠に保ち続けることはできない。

飛び上がるほど嬉しかった至福の時にも、いつしか慣れてしまったり
もう立ち直れないと思うほどに深く受けた傷も、いつしか忘れてしまったり
顔を見るだけで口から心臓が飛び出るほど緊張した相手のまえで、平気でいびきがかけるようになっていたり (笑)

この世の全ては一過性。すべてのものが、必ず変わる。

そうして変わりゆくものをあるがままに俯瞰して受け入れましょう。
翻弄されることによって自ずと「苦しみ」を生み出すのはもうやめましょう。

と唱える本に今回日本で出会った。
瞑想の本だ。
ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践

と同時に巡り会ったもう一冊は、なんと神様と対話するというもの。
神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)

どちらの著書も、おそらく10年まえの私なら数ページ読んで「なんかピンとこないなあ〜」と放り投げていたことだろう。

出会うべき人に、出会うべき時に絶妙のタイミングで出会うのと同じように
読むべき本も、読むべき時に自然とめぐり会うものらしい

一読して心に留まった一節は、両書とも同じことを言っていた。

あなたがたは決して心から、純粋に誰かを恋することができない。心から純粋に、自分を恋していないからだ。
まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。
他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見出さなければならない。
この世で最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。

(「神との対話」より)

自分は後回しにしてまず他人の幸福こそ願うべきではないか、と思われるかもしれないが
自分自身が幸せでなければ、他者に対する本当の慈悲の心は発露しない。
まず自分が幸せであることは義務なのです。
ですから堂々と私の幸せを最初に祈ります。

(「ブッダの瞑想法」より)

日本は今日が大晦日。

シアトルもあと24時間ちょっとしたら2013年が終わる。

1年まえ、去年の今頃は
マヤ暦が終わるのどうので世間が騒いでいたり

個人的には「妻の祈り」が日本のFacebookとTwitter上で広まって、ブログのアクセス数が急増したのにビックリしたり

そこから派生した様々な方との出会いがあり、
優しさと思いやりをたくさんいただき
色濃い2013年を過ごさせていただいたと思う。

その一方では

自分の意思と努力ではどうにもならない、自分ではない別の人間のことに心を砕いた1年でもあったように思う。

誰でも大切な人、大切な家族がいれば
その存在を完全に心から排除して生きてゆくのは不可能だ。

でも、どうにもならないものはどうにもならない。
そしてあらゆる状態は確実に、未来永劫、永遠に続くものではない。

ただ受け入れるしかないのだ。受け入れよう。

そして
自分にコントロールできる唯一のことは
自分の感じ方だけなのだと
理解しよう。

「まずは ”私” の幸せですよ」

1年の終わりに、そんなメッセージが降ってきて

自分に対して、少し「ごめんよ」と思った。

「己を愛する」という概念が、いまひとつ掴めていない私だが
2014年はもう少し自分という存在に関心を向けるよう、意識的に努めていこうと思う。

皆さんもどうぞ

まずは「私」の幸せから...

愛情深い「自己チュー」な人間めざしていきませんか

このブログ

ある思いが発端となって2010年から書き始めましたが

ここで一旦、お休みさせていただこうと思います。

またここで書き始めるかもしれませんし、全く別のところで書き始めるかもしれません。

こんなに更新頻度の低いぐーたらなブログに、毎日多くの方がアクセスして下さいます。

いまだに「妻の祈り」を読みに来て下さる方も多いようなので
ブログは閉じずに、このまま開けておく所存です。

今まで立ち寄って下さった方
コメントを残して下さった方
個別にメッセージを下さった方、、、

本当にありがとうございました。

お引き合わせに心から感謝しています。「日本語が書ける自分でよかったなあ〜」と心底、思っています。

ありがとうございました。

今回、故郷で見たうっすら雪化粧の桜島

鹿児島に暮らしていた時には微塵も感じなかったのに

今、この山をみると「ああ、神様がいるなあ」と思う。

シアトルにいて、レニア山を眺めても
同じ思いがします。

もしもシアトルを訪れることがあって、レニア山をご覧の際には

「ああ、そういえばあそこに神様がいるって言ってた人がいたなあ...」 と
ぼんやり思い出して頂ければ幸いです。

2014年という年が、どうぞ皆様にとって

充足感溢れる1年となりますように。

シアトルのレニアより

感謝と愛を込めて