(2012年12月12日の記事)
口角炎になった。
「口内炎」じゃなくて「口角炎」、口の端が切れてしまうやつだ。
口角炎なんて、最後になったのいつだろう???子供のとき???
あまりに昔すぎて思い出せないぐらい。
口角炎というと「胃が荒れているときになる」と聞いた覚えがあるが、確かにここのところ胃の調子はいまいち。忙しさによるストレスで連夜ビールを飲み過ぎてるかな? ま、メンタムつけてりゃ治るだろう
ぐらいに思っていたが、
これがなかなか治らない。もうここ10日ぐらい口の両端がぱっくり割れた状態だ。かなり痛い。
なにせ仕事上、毎日大勢の人前で話さなければならないため
それも症状の回復を遅らせている理由の一つだろう。
週末になってやっと少し時間ができたので「口角炎の治し方」でググってみた。
そうしたら、たまたまたどり着いたサイトで
こんな投稿に出会った。
『子供を亡くしました。昔話を探しています。』2011年5月30日
初めて投稿いたします。この震災により、子供が2人、天国へ旅立ってしまいました。
土曜日ラジオを聞いていたところ、あるお話が耳に飛び込んできました。とても心の中に響いてくるお話でしたので、いろいろ検索してみたのですが、どうしても見つける事ができません。そこで、発言小町の皆様に御協力を御願いしたいのです。あらすじは次のような感じです。
3匹の馬の兄弟がいて、長男は足が速く、次男は体が大きく、三男は生まれつき体が弱い馬でした。長男はレースで、二男は荷物運びで活躍していましたが、三男はいつも家にいました。ある時、「お兄さん達は人の役に立てていいね」と言ったところ、兄達は、「おまえが家にいてくれるだけで安心だ」という話をして、三男のそばに行き熱い鼻息をかけてくれました。
その夜、三男の所に、誰かが来て「おまえに翼をあげよう」と言って、三男は翼を手に入れ、空にかけあがり、自分が住んでいる家を見て、長男と次男が眠っている姿を見て、自分が冷たくなって横たわっている姿を見た・・・というお話です。
私は仕事をしており、震災の時、子どもたちは主人の母にお願いしていました。その日は、出張で、家から車で1時間かかる所にいて、地震があってから必死に車で家にかけつけましたが、道路状況も悪く家に着いたのは6時すぎでした。
一番大事な時に、母として何もできなかった事、とても後悔しています。なぜ一緒にいてやれなかったのかと、子どもたちに謝りたい気持ちでいっぱいです。偽善かもしれませんが、せめて、子どもたちが旅立つ時、自由に大空に羽ばたき、今も天国でたくさん遊んでいると思いたいのです。
お話のタイトルなどを教えていただければ幸いです。
長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。よろしくお願いいたします。
こんな投稿を読んで、同じ人間として痛みを感じない人なんているだろうか。
読みながら、自然と視界がぼやけてきた。
私がこうして暖かい部屋で快適なイスに座り、「口角炎」なんぞでネットサーチしている、まさにこの瞬間に
この女性は、日本にいて
子供のいない今日という日を、またもう一日生きなければならないのだ。
その一日は、どんなにか長いことだろう。
そんな長い一日が、朝目が覚めるたびに何度も何度もやってくる。
その気持ちがどんなものか
悲しいとか、辛いとか、
おそらくこの世に存在する言語ではとうてい表現できない感情だろう。。。私には、想像すらできない。
どうか貴女様の今日という日が、ほんの少しでも心安らかなものでありますようにと
心の中で祈ることしか出来ない。
すごいなと思ったのは、この投稿に対する人々からのレスがどんどん続き
最後には、その物語を探し出してしまったこと。
ふたを開けてみたら、この物語はまだ書籍化もされておらず
ミュージシャン「エポ」自作の童話だった。
それが、このお母さんの投稿によって多くの人がこの物語を探し出したため
この投稿から5ヶ月経った去年の10月には
この童話「光になった馬」は
CDブックとしてなんと本当に出版されてしまったのだ。
エポご本人も、その事を自身のブログで取り上げている。
『EPO オフィシャルサイト、2011年6月7日』
ネットの力、、、、すごい。
もちろんそこに「なにか力になりたい」と思った、多くの人の優しさがあったからこそ。
私はこんなふうに我が子を亡くしてしまった親御さんを、実生活で知っている。
同級生のご両親だ。
もう20年以上前の話だ。
大学時代仲の良いサークル仲間がいて、彼はそのうちのひとりだった。
卒業後千葉の建築会社に就職していた彼は
ある豪雨の夜、トンネル工事で働く現場の人たちに「もうあがってください」と伝えにいった、その瞬間
生き埋めになった。
当時は私も東京におり、夜帰宅してテレビの「ニュースステーション」をつけたら
まさにその時キャスターの久米宏さんが、その事故の被害者として私の同級生の名前を告げている。
耳を疑った。
あの夜のことは今でも忘れられない。
伊集院に住む彼のご両親は、その日から我が子を失った事実を抱いて生きてこられた。
もう20年以上も。
若かった当時は友人としてのショックと悲しみ、、、それしか理解できなかったが
自分がこの歳になって、「親として」と考えてみる。
私にはそれを受け入れて生き続けていく自信は、到底ない。
おじさんおばさん、どうしているだろう。。。最後に顔を見せに行ったのはいつだっただろうか。
久しぶりに手紙を書こうと思った。
さて口角炎だが、調べてみると結構奥が深く貧血(鉄分不足)が引き起こすこともあるとか。
そういや鍼の先生にも「あなたは血が足りてない」っていつも言われてたんだよな〜。
ということで、ただいまひじきを煮ている。
夫はリビングで日曜日恒例のアメフト観戦に夢中だ。アメフト見てる時だけは人格が変わる(笑)。
今日もこうして健康に、平和な一日が過ごせることに感謝して、、、。