前世の縁

(2013年8月28日の記事)

パートナーでもない男のことが、始終気になって頭から離れないって
不思議な感覚だ。
未だに慣れない。

これが、例えば息子ではなくて娘だったら
また違う感覚だったのだろうか。

または、自分で産んで赤子の頃から育てた子だったら
また違ったのだろうか。

前世の縁 って皆さんは信じるだろうか。

これは、人間は何度も輪廻転生(生まれ変わり)を繰り返しているという概念が土台になければ成り立たない仮説だ。

なぜ、人間が何度も何度も生まれ変わってくるかというと
「ままならない人生を生きる」という体験を繰り返すことで
魂が多くを学び、成長することを望むから。

そのため、私たちは一度死んでも
再び生まれ変わることを切望するのだそう。

私はこの仮説を訳もなく「スルリ」と信じてしまっている。
理由は自分でもよくわからない。。。(^^;)

さて、ここから先は「輪廻転生は存在する」という土台に基づいてお話を進めさせていただくが、、、

「今度の人生では何を課題に学ぼうかな」と、私たちがこれから始まる新たな一生をプランするとき

前の人生を共にした仲間たち(魂たち)と話し合って

今度の人生では、親子になろうか

ライバルになって敵対しながらも、尊敬する気持ちを学ぼう

分かり合えない夫婦になって、それでも相手を受け入れる気持ちを学ぼう

などなど、

その仲間たちと同じ時代を再び共に生きて、一緒に学ぼうとプランことが多いのだそうだ。

そうした人(魂)たちと出会った時というのは

「初めて会う人なのに、何だか前から知っている人のような気がする」...という感覚を覚えるのだそう。

これをちまたでは 「前世の縁」 または 「ソウルメイト」 と呼ぶ。

特に、夫婦になるほどの相手とは強い結びつきがあることが多く

往々にして今までの人生でも、何度も夫婦として共に生きた確立が高いのだそう。

そんな仮説を本で読んでいて、これは夫に関して言えば確かに当てはまるなあ〜と思った。

というのも彼と初めて会った時
人種も違う、自分の母語で会話できないという面倒くささもつきまとう相方に対して

ある意味、意味不明の妙〜〜な親密さを覚えたからだ。

アメリカ人男性をはなから敬遠していた当時の私にしてみると、これは自分でも意外な反応だった。

そして今振り返って思うことは
実は夫以上に

私は息子と前世からの強いつながりがあったのではないかということだ。

この結婚は、夫とつながる為というより
むしろ息子と出会うためのものだったのではないかと思うことがあるほどだ。

今日は息子の21歳の誕生日だった。

誕生日を共に過ごさなかったのは、今年が初めてだった。

夫は息子に対して今とても複雑な気持ちを抱えている。

それは、息子が下した人生の選択に関してどうしても同意出来ないでいるから。
というよりは、深く傷ついているからだ。

私はというと、母親として息子の今の気持ちに思いを寄せながら
同時に妻として夫の心の平穏もとても大切に思っていて、
できることなら二人ともに、毎日幸せで笑っていてほしい。

それでも何だか途方に暮れたときは

これも私たちが生まれてくる前に自分たちでプランしてきた試練なのだと

3人でちゃんと相談して

「今度はこうこうこういう困難を、一緒に乗り越えて学ぶことにしようね」 と、きっちりプランしてきたことなのだと

だから、自分のキャパで乗り越えられないレベルの試練ではないのだと

そう自分に言い聞かせることにしている。

私には、シアトルだけでなく

日本にも大切な家族がいる。

その家族に会うために実は明日から日本へ帰国する。
一人で帰る。

今までも何度となく一人で日本へ帰っている私だが
今回はなぜか気になって「だいじょうぶ?」と何度も相方に聞いてしまった。

「大丈夫に決まってるやん。心配すんな。」 と明るい口調の相方。

「母ちゃん行くんか? 俺らも一緒に行くで〜」 と荷造りする私の周辺をやたらウロウロして離れなかったのは、にゃんこ達だった。

日本に帰るのは2年ぶりだ。

その2年の間にこのブログを通して知り合った方もいて、
今回の帰国で初めて実際お会いする人もいる。

これもたぶん「縁」なのではないかなあ〜。。。なんて勝手に思っている。

そして実際お会いする予定はないのだが
やはりこのブログを通してお知り合いになった方で

「シンクロニシティ」(似通った者同士や事象が引き寄せられる法則)という言葉を教えて下さったり

「バシャール」という、地球外にある崇高な意識体の存在を教えて下さったりした方がいた。

かいつまんで言うとスピリチュアルに関する情報が最近次から次へと入ってくる。

そうこうしている横で相方が「I am not religious, but I am spiritual」なんてボソっと言ったりしている。

私はアメリカにいて母語である日本語を教えるという仕事を、精一杯楽しんでベストを尽くしてやらせてもらっているが

最近何だか
それ以外にやらねばならない役目があるような気がしてならない。

もしもこれを読んで下さってる方の中にそんな気持ちになった方が他にいらっしゃったら
何か助言いただければなあと思います。

今この記事はシアトルの自宅に居て、書いているけれど

明日の今頃はもう日本に到着している予定。

「溶けるほど暑いよ〜〜〜!!!」と

日本の友人にはさんざん脅され(?)
自分なりにそれに対処すべく体力温存してきたつもりだが、果たしてどうなることやら。

おまけに故郷鹿児島では、桜島が元気よく噴火してらっしゃるようだし。。。ドカ灰、降ってるのかなあ。。。困ったな

それでも大好きな母国、日本。
大切な故郷、鹿児島。

日本人として生まれたこともやはり「縁」なのだと思っている。

そして違う国の人と家族になったことも、
それも「縁」なのだと。

いいじゃないか、そのままを受け入れて 全てを許したって。

その先に、もっと大切なことがあるのかもしれない。