(2011年2月5日)
今日はまったく、シンドイ一日だった。
というのも昨夜、鹿児島の母から
祖母の容態が急変したという知らせを受けたからだ。
祖母は、母の母で、鹿児島の川内市に暮らす。御年、92歳。
大好きな大好きな女性だ。
私の大切な母を産んでくれた人だ。
それだけで、とてもとても特別な女性だ。
彼女の夫、つまり私の祖父は15年前に他界したが
それこそ誇り高き薩摩男児という感じの、器の大きい人だった。
愛情豊かな、優しい男性だった。
戦後の何もない時に、小さな葬儀社を立ち上げ
貧しくて支払いのできない人達に対しても、お代を取らず、トンテンカンテン棺桶を作って
リヤカーに乗せて色んなお宅をお世話して回ったそうだ。
そういう祖父の積んだ徳のお陰で、その後その葬儀社は大きな会社に成長した。
今ではその会社も、私の従妹の代に移っている。
なので、私が物心ついた頃の祖父母はすでにかなり裕福だったが、
お金に物言わせて贅沢するというところが全くなく
ただ孫に対して優しいじーちゃん、ばーちゃんだった。
その祖父が亡くなった96年、私はハワイで大学院生をしており
最期の時に立ち会うことはできなかった。
「さっき、おじいちゃん逝ったよ...」と母から連絡をもらった日のことは、今でも鮮明に覚えている。
ぼろぼろ泣きながら色鉛筆片手に、翌日使う教材の絵を描いた。
今回、祖母の容態が悪化したという知らせを受けたとき
15年前のあのときの気持ちが、フッと蘇った。
すぐにでも、飛んで会いにいきたい。
こういう時、異国に住んでいるという現実を思い知らされる。
ちょっと電車に乗って、新幹線に乗って、飛行機に乗って
「すぐ帰るから!!」というわけにはいかない、、、この距離。
そういう気持ちを抱えてこなす仕事は、とりわけシンドイ。
外国語の教師というのは「役者」みたいなものだと常々思う。
他の教科のように、教壇に立って直立不動。ただ淡々と理論を説いていればよいというわけにはいかない。
その言語(私の場合、日本語)をある意味体をはって、再現しなければならないからだ。
普段は2時間の授業のあいだに、あっちに走り、こっちで飛び
常に大きなはっきりとした発声で日本語を話し、その音を聞かせ、時には歌い(ホントに)
とにかく体力勝負。
ちなみに今日は、学生の前でお風呂に入るまねをして見せた。
英語では「take a bath」というのに、なぜ日本語ではお風呂に「入る(enter)」というのかを説明するのに
日本のお風呂の入り方を一から教えてあげないと、説明不可能だったからだ。
私が服を脱ぐ動作をして風呂場に「入り」
そこから浴槽に「入る」まねをして、湯船につかり
「い〜ち、にぃ〜、さ〜ん、しぃ〜...」と数を数え始めると、ドッと笑う学生たち。
(実際のエピソードです。幼い頃は一緒にお風呂に入ってくれた母に「ちゃんと肩まで浸かって、20数えなさい」と言われたものだ)
そうして自分も一緒に笑いながら、
今日はふと、祖母のことが頭をよぎった。
胸がキュルルと泣いた。
アメリカの大学では、学期の終わりに学生による教師の「評価」が義務づけられている。
簡単に言うと「この先生の教え方は、どうでしたか?」の問いに対する学生からの率直な意見が
毎学期、大学側に報告されるというわけだ。
その評価表は、学期が終了してしばらくしてから
教師自身の手元にも送られてくる。
過去にさまざまな学生からのコメントを読んでいて
ひとつ、とても印象に残っているものがある。
それは
Sensei, Thank you for always smiling.
It does make a huge difference in the classroom.
というもの。
日本人が英語で話すとき緊張するのと同じように
アメリカ人にとっても外国語(日本語)で話すということは
とても神経をすり減らすことなのだ。
きっと私の学生も緊張しながら
特に学期のはじめはドキドキしながら、教室に座っているに違いない。
そうだよな...だからホッとする気持ちで座っていられる教室づくりが何より大切だと
この学生からのコメントを読んだとき、改めて気がついた。
それ以来、授業をするときは
何はともあれ、とにかく「笑顔」
とにかくスマイル。
とにかく笑っていること。
それだけは常に常に心がけて、教えてきた。
なので、今日もずっと笑っていた。
いつもは自然と楽しいはずの、そんな授業の風景。
でも今日は、がんばってがんばって笑った。
そうやってケタケタ学生と笑っているのが
とてもつらい日だった。
一日の授業を全て終え、最後の学生が「失礼しま〜す」と教室を出て行ったときには
外はもう真っ暗だった。
シンと静まり返ったキャンパスを駐車場に向かって歩きながら
今ごろ祖母は何を感じているだろうと思った。
「逝かないで」と言うのは
生きている側の、エゴかもしれない。
祖母はもう、ラクになりたいかもしれない。あちら側へゆけば、祖父にも会えるのだ。
祖母はすでに長い長い時間を生きて、
ずっと家族のために働いて
もう存分に私たちに愛情を注いでくれた。
「逝かないで」と思うのは
残される私たちが、悲しくて、辛いから。
祖母が本当はどうしたいか、
きっとそれは祖父が知っているだろう。
できることなら、もう一度だけ、会いたいよ。
でももう、がんばらなくていいからね。
遠く太平洋の向こう側にいる、一人の聡明な薩摩おごじょのことを思って
家路についた夜だった。