(2014年11月23日)
めっきり冷え込むようになって、レニア山もすっぽり雪化粧。
シアトル市内から臨む、壮麗なその姿 (Facebookより拝借)
愛して止まないレニア山だけど、この夏は行く事が叶わなかった。
ブログをお休みしていた約1年の間に
何をしていたかというと
リセットをしていた
できれば「進化をしていた」と言いたいところなのだけど
今この1年を振り返ってみて、どう甘く解釈したところで
進化よりは「リセット」という言葉ののほうが、しっくりくる。
もっと正確に言うと、遠い昔の
自分の状態を思い出しつつある(?)と言ったほうがいいかな。
皆さんも経験したことあるのではないだろうか
あの経験をする前の、あの人に出会う前の、あれを手にする前の
その「前の自分」が、もはや思い出せない...という感覚
例えばスマホが出現する前の、私たちの生活
どうだったっけ?
実際私が大学生の頃は、スマホどころか「ケータイ」さえまだこの世に存在してなくて
それでも若かりし頃の私たちは、
ちゃんと友人たちと楽しくコミュニケーションがとれていた。
待ち合わせ場所でも、ちゃんと相手に会えていた。
相手を待っている間は、何をしていたっけ?
文庫本を読んだり
ウォークマンで音楽を聞いたり
または
ただ道行く人をぼんやり眺めたりして
「待っている」という 事実を、もっと楽しんでいた気がする
そんな「ケータイ以前」の自分を
今リアルに思い出せない、、、
誰かを心底愛して、その関係は悲しく終わりを迎えたから
もう無邪気に恋ができた頃の自分は、思い出せない、、、
誰かを心から信じて、その信じた相手から傷を受けたから
もう闇雲に人を信じる無垢な心は、思い出せない、、、
ああなりたい、こうありたいと願って
でもそれはことごとく叶わなくて
「夢を見る」という感覚が、もう思い出せない、、、
だから今となっては
遠い子供のころ、どうして雨の中を
喜びの声をあげて走り回っていたのか
アリの行列が巣に食べ物を運ぶのを、飽きもせずじーっと眺めていたのか
茜色に染まる空を、畏敬の念で見上げていたのか
もう、とても
思い出せない、、、
そうした感覚は、誰でもお持ちなのではないだろうか。
ブログをお休みすることにした直後の、この1月に
あることがきっかけで
私はおそらくここ15年ぐらい抱えていたであろう傷を
するりと脱ぐことができたのです
自分の深いところに 長いことずっしりと居座っていた「それ」は
あれあれあれ?? というぐらいに
溶けてしまい
そうしたら、その傷を抱えるまえの
ずっと埋もれていた「それ以前の私」が
甦ってきた(?)とでもいえばいいだろうか
もちろん、この1年も様々なチャレンジはあって、ビックリするような出来事もあって
頭抱えたり、解決策を模索したり
一応大人の自覚で
脳みそフル回転で
思考錯誤して、生きてはきたのだけど
2014年が始まって、11ヶ月がたった今
なんとなく今なら、
アリの行列を飽きも せず
じーっと眺めていられそうな。。。
そんな大昔の、懐かしい自分との再会
強いて言えば そんな感覚だろうか
遠い昔、人生って
もっとシンプルだった。
それをややこしく複雑にしてしまったのは
何なのだろう。
もしかして、自分だったのかもしれない。
スマホがあってありがたいな。生活はとても便利になった。
でもふいに空き時間ができた時
うつむいて
手のひらにおさまる小さな画面を
ただ眺めて過ごすのではなく
ふと顔をあげて
たとえば雨粒が、木々の葉をつたって滑りおりてゆく
その優美なダンスを
ただ眺めていられる
「この世の不思議」とのコンタクトを、逃さない
開いた心でありたいな
これに関しては
子供は天才
私はずいぶんと、遠く離れた所にきちゃった。。。
まだまだリセット中