(2014年12月27日)
もう1ヶ月ほど前になるが、
夫とふたりで懐かしい場所を訪れる機会があった
滞在した宿からは、故郷の桜島フェリーを彷彿させるフェリーの発着所が見えた。
この写真をアップしていて今気づいたけど
自分に関して「変わらないこと」
こうしてパートナーの背中を、黙って後ろから見ていることが昔から多いかもしれない
相手に正面から向き合った瞬間から
本当の自分なんだか、相手に見て欲しい自分なんだか
こんがらがって、何だかわからなくなってしまうでしょう?
でも後ろから見ている間は、素の自分のまんま。
何年も前に、初めて出会った頃の夫は
I won’t change (僕は変わらないよ)
と、よく言っていた。
変わらない人間なんていないんだよ、と内心思っていた私は
「あら、そうですか」と受け答えながら
話半分に流していた。
一緒にいる時間が長くなるごとに
この人、いよいよぽよよんドラえもんだ〜と思うことが多々あるが
そのドラえもんが、今でも時々さらりと
I know who I am, so I won’t change
本当に、さらりと
「今日は金曜日だよ」ぐらいと同じ、当たり前感と、確信をもって
そう言うことがある
「I know who I am, so I won’t change」
(自分がどんな人間か分かってるから、僕は変わらないよ)
自分の核とのつながりが非常に希薄な私には
なんのこっちゃ??? さっぱり分かんない。
でも
なんだか羨ましかったりもする。
さて、「変わらないよ」と言っていた彼だが
知り合ってからの年月のなかで、果たして変わったか?
...変わった (笑)
そして
変わってない
変わったと感じるのは、「五感」を通して表層的に認知できること。
見た目、使うようになった言葉、好んで食べるようになった物
昔はしてくれたのに、今はしてくれなくなった事もあるし
昔はしてもらったことないのに、今は普通にしてくれるようになった事もある
変わらないと感じるのは、五感では認識できないこと。
私が「なんとなく」の領域で感じる
強いて言えば、雰囲気みたいなものだろうか
自分が相手といるときに受ける、空気みたいなものだろうか。
実はこれは、夫以外の人にも当てはまる。
例えば両親。
自分が子供として密に親と関わっていた頃は30代〜40代だった父母も
今では70代。
昔の写真を見れば、そりゃ「うわ、若い!こんなだったっけ???」と思うけれど
実際に今の両親を目の前にしてみれば
子供の頃と全く同じ空気感を覚える。
学生時代の友人もしかり。
懐かしい友に数年ぶりに再会して、私が感じ取るのは
現在の40代半ばのその人ではなく
10代20代の頃のままの、その人の「本質」みたいなもの
シワが増えていようが、白髪が増えていようが
いま目の前にあるのは、「あの頃」と同じ顔なのだ。
他人(ひと)の中にそうした「変わらないもの」を認知できるということは
たぶん私の中にも、そうした「変わらないもの」が存在するものと思われる
もしかしたら家族や友人は、それを私の中にも感じるのかもしれない。
ただ、自分ではそれが分からない。
夫の言っていた「I know who I am」というのは、
その変わらない部分のことを言っていたのかもしれないなと、思ったりしている。
さて、その不滅不変の「核」の部分が、すっぽり隠れて見えなくなっている人もいると思う。
うちで言えば、息子が長いことその状態だった。
夫は、息子が幼いときに彼のその部分をしっかり認識していた。
私は途中参加であったため、
息子に出会った時には、思春期という難しい時期も関与して
彼の本質は非常に見えづらい状態になっていたのだが、、、
今年に入って、息子は自分のその「核」の部分を、重いベールの下から引っぱり出し
再び外に向けて発信するようになった。
夫に言わせると、それは馴染みのある、とても懐かしい部分なのだそう。
私にしてみれば、ああ、何となくそうじゃないかな〜と思っていたけどやっぱりそうだったのね、みたいな感じ? (笑
その人がその人たる、カラーのようなもの
それって隠れてしまうことはあっても、なくならない気がする。
どれだけ時間がたっても、消滅はしない気がする。
「ああ、あの人変わってしまったね...」は、とても寂しい感覚だけれども
それももしかしたら、
ただ隠れているだけかもしれない。
傷ついたり辛かったりしたら、人間、隠れたくなりますものね。
“I know who I am” と言う自信は、私には無いけれど
人が「いいね」と言ってくれる自分の部分を大事にしたり
変わってしまった人を、「いまは隠れているだけかも」と待っていられる
ゆったり大きな心持ちでいたいなと、思う。
そして、その人がその人でいることを「安全だ」と思ってもらえるような
そんな存在でありたいなと、思う。
22歳の青年から、そんなことを学んだ
なんとも忘れられない
2014年の師走を迎えています。