いてくれてありがとう

(2013年2月8日の記事)

木曜ともなると、世の中が優しく見える。

週末が近くなって、人々の発するエネルギーが柔らかくなるのかな?

それとも

私自身の気持ちが和らいでくるから
そう目に映るだけなのかな?

今週は
月曜の朝イチに、故郷鹿児島から届いた知らせで幕を開けた。

こうして遠く異国の地に住んでいることが
ことさら辛く感じる知らせだった。

その知らせは妹から届いた。

夫は半年の休職を経て、数週間前にやっと仕事に復帰。

この月曜はたまたま休みで
私がその知らせを携帯で読んでいる間も
相変わらずキッチンで、音程外しまくりながら例の「とんちんかんな歌」を歌っていた。

私は毎日弁当を持参する。

それも日本のOLさんが持ってゆくような小さく可愛らしいものではなくて
昔で言うと、工事現場で働く土方さんが使っていたような
おみそ汁も詰められる
4段重ねの魔法瓶タイプのもの。

これにごはんも2膳分、おかずもがっつり詰めて出勤する。
仕事をする時は、とにかくものすごい量を食べる私だ。

おかず&みそ汁は前夜に作っておくので、朝はそれらとごはんを詰めるだけなのだが

相方が休みの朝は、私が身支度をしている間に
彼が代わりにそれをしてくれる。

この朝も、とんちんかんな歌を歌いながら
にゃんこにごはんをあげながら
夫は私の弁当を用意してくれていた。

妹から届いた知らせのことは、
夫には出勤前に 簡単に告げた。

簡単に話しながら、少しばかり
感情が表に溢れ出てしまった。

そうして大学へ向かった私。車を運転しながら思った。

人の前に立つ仕事をする人は、歌手であれ俳優さんであれ芸人さんであれ
私生活で何が起ころうとも、仕事には穴をあけず
何事もなかったかのように歌って演じて笑わせて

すごいよなあ〜と。。。

私の仕事は「演じる」とまでは言わないが、それなりに人の前に立って教えながらもエンターテインする仕事。
(学生の前に立っている時間だけは、別の人格が下りて来るような感覚さえある)

学生が「先生ってこんな人」と見ている私という人間を
元気に提供するエネルギーが沸いてこない、こんな日は
世の全てのエンターテイナーに
心から敬意を払いたくなる。

さて、午前中の授業を終え自分のオフィスに戻り
弁当を開いたら
小さなメモが挟まっていた。

夫からだった。

パーフェクトなサニーサイド(目玉焼き)が出来たぞ!
Enjoy!!

とな。

ご飯のケースを開けると、その上にちょこんと卵が乗っている。。。

そして

Things will be alright Honey.
Do not worry too much and please have a nice day!

鹿児島にいる姪っ子が
「修学旅行のお土産!」と送ってきてくれた、キティちゃんのメモ帳に
ふにゃふにゃの文字で(夫は決して達筆ではない)
こうしたメッセージが書かれていた。

一瞬、こころがフワッ...とした。

月曜は夜遅くまで授業の日。

帰宅すると、起床時間の早い夫は
既にベッドに入っていた。

鹿児島の妹とは、時差もあるため普段の連絡はもっぱらメールだ。

でもこの日は電話で話したいと思い、彼女に打診すると
ちょうどタイミングが合い、電話で話せることに。

1年9ヶ月下の妹は、昔はこんなだった。

声を聞いたのは久しぶりだった。

妹は、

傷つき易い繊細さと逞しい楽観とを合わせ持つ
不思議な女の子だ。

幼い頃は、どこに行くにも私の後をついて来る子だった。

幼稚園から戻って友達と遊ぶ約束をしている私について一緒に行きたいと言う。

「途中で『おしっこ〜』って言わない??言わないなら一緒に連れてってあげる」

と尋ねると「言わない」と言う。

それで一緒に連れてゆくと
もちろん、「お姉ちゃん、おしっこ〜」となるのである。

そんな彼女も、今では立派な二児の母になった。

この日は、おそらく私の声に脆さを聞き取ったのだろう。
(仕事あがりでヘトヘトだったのもあったので)

妹は、本題は短めに

それとは全く別の話題で
私を笑わせてくれた。

一時間近くも話しただろうか。

電話を切ったあとは、その日の朝には考えられなかったぐらいに気持ちが軽く
ラクになっていた。

1年に1度、会うこともままならない妹だが
彼女が私の人生にいてくれて
ホントに心底ありがたいと思った。

これは母にお礼を言わなければならない。

妹を産んでくれてありがとう、と。

そうして、しんどいスタートをきった今週だったが、

ブログを通して見知らぬ方たちから
温かいメッセージも頂いた一週間だった。

『妻の祈り』がきっかけで
私の他のブログ記事まで読んで下さったという方たちが
直接メールを下さって
それぞれの置かれている状況や思いを、シェアしてくださる。

私に「ありがとうございました」と言ってくださる。

身に余る思いだ。

つくづく思う。
皆必死に生きているのだと。

傷をかかえ、困難をかかえ、悩みと格闘しながら
それでも懸命に生きているのだと。

それでなお私の拙いブログを読んで

「前に進む勇気が沸いてきました」

とおっしゃって下さった方までいた。

そして、そんなふうに言ってもらっている当の本人(私)は
人様に元気を与えるどころか
自分の周りの家族に元気をもらって、かろうじて日々を過ごせている状態である。

それでも 出会いが

温かい。

会ったこともない、見ず知らずの私のために
時間をかけて、こうして思いの丈を綴って届けてくれた
その思いがじんじんと温かい。

「妻の祈り」にも相変わらずコメントを残して下さる方が後を絶たない。

まっさらな思いが綴られた言葉は、ここ数日は特に
読んでいて
カラカラに疲れ果てた心に染み入る救いの水のようだった。

私という人間は
どうやらこの一週間も、無事に生かされたようだ。

自分の心の安定は、周りの多くの存在によって支えられていると
殊の外 強く感じた一週間だった。

来週の終わりも
同じように迎えられるかな?