自分でいる勇気

自分でいる勇気

本当の自分を大切にしていますか?

私は「あれ?ちょっと、本当の自分から離ればなれになってしまったかも?」そう感じた日に見る映画は、最近これです。

「グレイテスト・ショーマン」 by ヒュー・ジャックマン自分でいる勇気

日本でも2018年に上映されています。皆さんはご覧になりましたか?

作品は19世紀に実在した興行師、P. T. バーナム(ヒュー・ジャックマン演)を描いたもの。彼は、当時「恥さらし」として社会から隠れるように生きていた、「普通」というカテゴリーから遠く外れた人々を集めサーカスを立ち上げたショーマンです。

小人、ヒゲの濃い女、結合性双生児、超肥満の男、超長身の男、全身毛むくじゃらの男、etc.

「あなたは私たちとは違うよね。だからオカシイ。だから仲間には入れてあげない。」

人類は、長い長い歴史を経てもこのメンタリティからあまり抜け出ていないのかも。だからこういう映画が人の心を打つのでしょう。

かつてのヒトラーのようにそのメンタリティで実際に大量惨殺してしまったら、大犯罪です。かつてのアメリカのようにそれで黒人を「ネグロ」と、日本人を「ジャップ」と呼んでしまったら、それは人種差別です。

それは「しちゃダメ!」な事。現代人はそのぐらいの良識は(先人の苦労と働きの甲斐あって)ようやく得ることが出来ました。

ただ、そこまであからさまでない「排除」は、どうかな?

あの人、ちょっと変わってるよね。だから関わらないでおこう。

あの人、この前のママ友会でこんな事言ったのよ。常識はずれじゃない?

その方の言動が実際に人を傷つけてしまった場合は別として、単に「常識で無い」という観点から、「あれ?私ってヘンな人?」

そんな位置に置かれてしまった、、、そういう経験は、たぶん生きていく中で誰でも一度は経験したことがあるのでは?

人間には生存本能があります。群の中で異端とされてしまうと生存率が下がってしまう。なので「ヘンな人」のレッテルを貼られてしまった人は自分を守ろうとする本能が働いて「私」の観点ではなく「他人」の観点から自分を見ることを学びます。

女性なら、周りと同じようにお化粧をして同じような服を着て、婦人会に参加して本当は聞きたくもないのに他人のゴシップに花咲かせたり。

男性なら、本当は家で静かに本を読んでいたいのに、野郎どもと一緒にバーに繰り出してタバコだ酒だとばか騒ぎしたり。

英語では fit in すると言いますが、この苦労はどうやら思春期の、しかもかなり早い頃から始まるようです。

そして長い長い時間をかけて、本来の自分とはかけ離れた虚構の自分がどんどん出来上がっていきます。

そしてある日鏡を見つめて、ふと問いかける。「あれ?私って… 誰だったっけ?」

私がこの映画『グレイテスト・ショーマン』に惹かれた理由のひとつは、出演者の一人がこの映画に出ることによって、まさにその「虚構の自分」から解き放たれるきっかけを得たと知ったからです。

彼女の名前はキアラ・セトル。映画の中ではヒゲの濃い女を演じています。

キアラはブロードウェイで25年という長い間、舞台女優をしてきた人。その歌唱力は映画を見れば一目瞭然ですが、本人は「とにかく人目につかないように、なるべくつかないように、ひっそりと生きてきた」と言っています。

この映画のオーディションの話が来た時にも全く乗り気でなかったらしく、ヒュー・ジャックマンの強固な説得が無ければ、おそらく自分はこの映画には出ていなかっただろうと言っています。

キアラは俗に言うハリウッド女優としてはかなり大柄です。それが彼女の魅力であり、あの素晴らしいボーカルはあの体だからこそ生まれるのですが、本人はおそらくその事に価値を見出してなかったのでしょう。

でもキアラの中の「本当のキアラ」は、「私はここにいるよ。早く外に出して」とずーっと長い間自分でいられる自由を待っていたのだと思います。

その事にキアラ自身が気づいた、映画製作前のワークショップの様子をご覧ください。

私などにしてみれば、彼女は長年ブロードウェイの舞台に立ち、ハリウッド映画にも出演してしまうほどの才能に恵まれた人。言わば天空の人です。私には逆立ちしたって出来ない芸当です。

それほどの才能に溢れた人でさえ、自分の素晴らしさに気づかず、自分を閉じこめて生きてしまうことがあるのだと。。。この動画を見た時愕然としました。そして解き放たれた瞬間を見て、感動して泣けてきました。

ハリウッド女優だったら皆スーパーモデルのようにガリガリでなければならない。それって誰が決めたことなの?

男だったら女性より背が高くなければならない。それって誰が決めたことなの?

男性の体に生まれたら、女性の心を持ってはいけない。それって誰が決めたことなの?

女の子だったらピンク色の口紅つけて、ウエストはキュッと細くて、ひらひらのドレスを着て可愛くいなければならない。それって誰が決めたことなの?

セールスマンだったら、饒舌で話が面白くてガンガン人を説得できなければいけない。それって誰が決めたことなの?

その人にはその人の色、その人の得意とするところ、その人ならではの個性があって、それが当たり前ではないのかしら。

これがニャンコだったら(すみません。うちには猫がいるのでこのアナロジーになります)、この子はブチだから可愛くない、この子は真っ黒だから可愛くない、愛して欲しかったら血統書付きの〇〇猫でなくっちゃ!ってなるのでしょうか?

でも皆さんは猫を見た時、その子がどんな種類の猫であっても目を細めるのでは。。。?

それは、どんな種類のニャンコにも、その子なりの愛らしさを見出すからでは?

人間もどんな個性の子でもみんな同様に愛らしい。この子はよく喋るから愛らしい。この子はあまり喋らないから愛らしい。

そんな風に、ワンコやニャンコを見るのと同様に「受け入れる目」で、自分と同じ同胞の人間を見られないのは、どうしてでしょうね。

(私なりの)結論から申しますと、、、

どうしてかな?って疑問に思うのは尤もなのですが、結局他人様の考え方は変えられないのです。

その方はその方なりのペースで、その方の学びの道を歩んでいるからです。

それよりも大事なことは

他人にどう見られるか、に焦点をあてるのではなく

自分が自分をどう見るか、に焦点をあてることなのだと思います。

私は今年で50歳になりました。世の中には1歳に満たない年齢でお空に帰っていった人もいます。そんな中、自分が50年もの間、大した大病もせず生かされてきたのにはおそらく理由があるのだと思っています。こんな健康な体を授けてくれた両親に心から「ありがとう」です。

この年になってやっと気づいた事ですが、自分は非常に内向的な人間です。子供時代には学級委員長などさせられましたので、自分は外交的な人間なのだと、長いことすっかり自分のことを誤解して生きてきてしまいました。(笑)

でも本当の自分は、、、

人がちょっと怖かったりします。

大勢の人が集まる場所が苦手です。多くの人のエネルギーに圧倒されてしまうからです。パーティーなどに出席して騒ぐよりも、一人の友と向かい合ってじっくり語り合うことのほうが好きです。

休みの日は女子会に出向くよりも、植物やネコと話してるほうが好きです。

長年教師をしております。毎日、大勢の人間の前に立って話をします。(しかも英語)

なので「いやいや、そんな事言ってられん。これが仕事なんだから」と日々自分に鞭打ってやってきましたが、どうやら自分は教師という仕事の中の「人を助ける」部分は好きで、でも「大勢の人の前に立って話す」部分はあまり好きではないようです。それに気づいたのもここ数年のことです。

そして、思う。

私は、他人様が望む「レニアさん」を察知してその希望に沿うようにやってきたのだなあ。。。それは必ずしも本来の「レニア」ではなかったんだなあ〜と。

そして、どうして本来の「レニア」を無視して生きてきたかというと、それは「あなたは私たちとは違うよね。そのレニアバージョンは私たちが欲しいものとは違うわ」と排除されるかもしれないという恐怖感からです。

これは、私個人の推測ですが

おそらく現代人の大多数の不幸 & ストレスは、この「本来の自分を無視して生きている」ことに起因しているのではないかな?と思っています。

本来の自分であること。。。勇気がいりますよね。

受け入れてくれる人もいるかもしれない。そうでない人もいるかもしれない。

でも、人生で一番大切なのは「誰」に受けいれてもらうこと?

誰?

。。。それは「自分」ですよね。

私が私を受け入れないと。

自分が自分を受け入れられなかったら、たとえ他の誰に賞賛されようとも、それはあまり意味が無い。

だって、私の人生を、最後まで一緒に生きてゆくのは「私」だからです。

(私これに気づくのに長い時間かかりました)

私たちは日々、様々な社会の規範にさらされてます。なのでうっかりするとすぐに人のレンズを通して己を見て、私はここがダメ、あれがダメと自己否定が始まります。

そして「本来の自分」から遠くかけ離れた、孤独な場所へ流されてしまいます。

あれ?おかしいぞ、悲しいぞ、寂しいぞ、ヘトヘトだ。。。本当の自分から迷子になっちゃたかな?と感じた時には

大切な事を思い出させてくれる『グレイテスト・ショーマン』のような映画を見たり、または「何がしたい?」と自分に問いかけてみて、自分が心から望む時間の過ごし方を、どうぞ自分に与えてあげてくださいね。

会いたい人に会いに行って下さい。会いたくない人に無理に会いに行かなくていいです。

読みたい本を読んで下さい。見たい映画を見て下さい。目にしたくない物は見なくていいです。

聞きたい音を耳にして下さい。食べたい物を味わって下さい。五感が生きていることは素晴らしいことです。存分に楽しみましょう。

ネットやSNSが発達して、大切な人にすぐメッセージを送れるようになりました。かつて、愛する人への便りは数週間かかるという時代がありました。今のこの便利さを、人を傷つけるためではなく、ぜひ人に愛を伝えるために使いましょう。

たとえ匿名であってもどこかにあなたの足跡を残すなら、ネガティヴな言葉ではなく「すごいですね。素晴らしいですね。頑張って下さい」と、その人の心に灯をともすような言葉を残しましょう。それは読んだ人の明日への力になります。その言葉はあなたが死んだ後も、ネット上にずっと、灯として残ります。

私たちは皆平等に、限られた時間を受けてこの世に生を受けました。いずれは皆お空へ帰ります。

この「限られた時間」を、まずは自分を幸せにするために使いましょう。そして出来ればあともう一人を幸せに出来たら万歳!
あともう二人を幸せに出来たら、万々歳!!!です。

自分を幸せにすることが出来ずして、他人を幸せにすることは出来ません。

なので何よりもまず、自分の心を大切にしてください。

自分のありのままがどんな姿でどんな性格であっても、その「ありのまま」を受け入れて認める勇気を持ちましょう。あなたに人を意図的に傷つける意志が無い限り、あなたはそのままで価値があり個性があり、愛すべき人間だからです。

あなたの代わりはどこにもいません。本当に、どこにもいないのです。

この世にたった一人の貴重な存在です。

そのことを心に刻んで、自分のことを大切に、歩いていきましょう。

キアラ・セトラが映画「グレイテスト・ショーマン」で、最高のパフォーマンスを見せた場面です。

「化け物!!!消えろ!!!」という罵倒を受けながら、キアラは誇り高く「これが私です」と歌い続けます。

自分でいる勇気。

まさにこれ、です。

「大柄でも髭だらけでもいいじゃないの。私にはこんなに素晴らしい声と愛とスピリットがある。それは価値あることでしょう?」

そんな風に、自分の長点に自信を持って生きていきましょう、お互いに。。。(私もまだまだ鍛錬中 … 笑)

万人に愛されなくて、いいです。

それよりも、素のままの自分を受け入れてくれる人を一人見つけましょう。

そして、その人と自分に恥じない人生を送っていきましょう。それで人生、万万々歳です。?

久しぶりの、レニアの独り言でした。ではまた。

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