(2013年2月19日の記事)
うちのバルコニーからの眺めはこんなで
鳥のさえずり以外、騒音も殆ど聞こえない。
家に居る限り 森の中に住んでいるような感覚さえ覚える。
でも一歩家を出て、5分も車を走らせれば
こんな感じだ。
この交差点で信号待ちをしてると
人里離れた山奥から、いきなり下界(?)に下りてきたような感じさえする。
私の毎朝の通勤路。
この交差点から高速に乗る。
そして特にお気に入りなのが、湖の真ん中を突っ切る
このfloating bridgeを渡る瞬間。
「清々しい気持ち」って
たぶんこういう気持ちをいうのだろうなあと、、、
そんな気持ちにさせてくれる。
ここを渡った反対側が、シアトル中心地になる。
シアトルのダウンタウンが見えてきた。
ここまで来れば、大学まであと10分だ。
この時点で、頭の中で今日の授業のシュミレーションが始まれば
その日の授業は大体うまくいく。
でも、ここまで来ても頭が「お仕事モード」に切り替わらない日もある。
この一週間はそんな日が続いた。
私がシアトルを愛して止まない理由のひとつ。
ダウンタウンに入っても、、、
高層ビルの立ち並ぶ市街地に
「築何年だろう???」と思うような、こんな美人さんが
ひっそりと建っていたりすることだ。
こちらのお屋敷も。
おそらく築100年近くあると思うが、今もどなたかがちゃんと暮らしてらして
お庭の手入れもきちんとされている。
私の勤める大学は「キャピタル・ヒル」という丘の上にある。
夫曰く、「Microsoft」や「スターバックス」などで有名になるずっと前のシアトルの主な産業は
シーフードの缶詰工場などで
富裕層は、眺めの良い丘の上に豪邸を構え
低賃金の労働者は、水際に住まいをかまえていたのだそう。
なので、私の勤務する大学周辺は、かつての富裕層の住宅街だった。
それもあってか、思わずほれぼれ見とれてしまうような建築物が
その優雅な佇まいを
今に残していたりする。
子供は育てたように育つって、本当かな?
と心底悩んだ時期があったと、
私のブログ記事 「息子の手紙」を読んで下さった方が
メッセージを下さったことがあった。
彼女のその問いかけの言葉は、
私がずっと疑問に思っていたことにドンピシャだった。
「息子の手紙」を書いた時は
「伝わっていた!」という手応えを得て
それに感動した。
その思いを綴ったが...
ここにきて、振り出しに戻ったかのような事件が起きた。
(詳細は割愛させていただきます)
夫は、言った。
We cannot help him until he starts helping himself.
そして私は、思った。
親って、、、
種を植えることしか出来ないんだなあと。
その種を、枯らせるか
または 育ててゆくか
それは全て、子供次第なのだと。
親が出来ることは 子供がある程度の年齢に達するまで
健康な体の成長をサポートし、
安心して暮らせる場所を提供し、
世の中で生きてゆくためのルールを教え、
おまえを愛している
そしておまえの幸せを願っているということを伝えること。
あとは「自分で切り開いてゆきなさい」と、信じて送り出すこと。
それしか出来ないのだなあと。。。
子供といえども、一個人なのだ。
20歳にもなれば、余計にそうだ。
必ずしも親の思うようになんてならないし、
もちろん相手を変えることなど 到底出来ない。
その権利は
その子供本人にしか、ない。
「育児は育自」
と言ってくれた友人がいた。
子供を育てるということは、自分を育てるということ。
だから
子供と一緒に、自分も成長しているのだと。
もし、マイケルに出会っていなかったら
私は
今の私とは随分と違った人間になっていたことであろう。
それだけは確信を持って言える。
マイケルはそのぐらい、私の人生に大きな影響を及ぼした。
同じように
私もマイケルの人生に影響を及ぼせたのかな? そう信じたい。
今は届かぬ思いでも、いつの日か 時が来たら
思い出してほしい。
私があなたに伝えた言葉。
お父さんがあなたに伝えた思い。
一緒に餃子を包んで笑った時の、
あのシンプルで、幸せだった瞬間を。
もしも今日これを読んで下さったあなた様が
10代20代の若者だったら
ご両親に電話をして、「元気でやってるよ」と
どうか伝えてほしいです。
親が、子供に望むことは
本当にそれだけなんです。