バレンタインの日の思い

(2012年2月16日)

 

バレンタインデーの火曜日、シアトルは小雨の降る肌寒い日。

ダウンタウンを運転してたら信号待ちになった。

目の前の横断歩道を、年老いた男性がひとり渡っていた。

この寒いのにずいぶんと薄手のジャケットを着て、杖をつき
足が悪いのだろう。ゆっくりゆっくり、一歩一歩を確かめるように歩みをすすめていた。
そろそろ信号が青から赤へ変わろうというのに、彼はまだ横断歩道の三分の二ほどまでしか来ていない。

その姿を見ながら思った。

どうして一人なんだろう。足が不自由だというのに、付き添ってくれる親族は近くにいないのだろうか。
奥様はご自宅で待ってるのだろうか。それとも、もう先立たれてしまったのだろうか。
子供たちはすでに巣立ってしまって遠くに住んでいるのだろうか。

今日はバレンタインだというのに、
こんな寒空の下ひとり歩いて、彼はどこへ行くのだろう。

いったいどんな人生を送ってきた人なのだろう。。。

 

彼が無事にあちら側にたどり着いたのを見届けてから車を発車させた。
なぜだか
その姿に、夫の姿が重なった。

 

若かりし頃、まだ恋をしていた頃は
「相手に先立たれて一人残されるなんて、私には耐えられない」と思っていた。

実際、当時つき合っていた彼氏には(その時はその人と老いるまで共にいるだろうと思っていたので)

「絶対先に死んだりしないで。死ぬ時は私が先に逝きます。」

とお願いしていたぐらい。

 

今は、、、

今も

老いてから相方に先立たれた日にゃあ、そりゃ辛いだろうなあとは思うけれども

それよりも相手を一人残していくことのほうが心配で、とても先には逝けないという思いのほうが強い。

相手に孤独な辛い思いをさせるくらいなら、私がきちんと看取って送り出そう。
たとえその後自分がひとりぽっちになろうとも
相手がひとりぽっちで暮らす図を想像すると、、、
いやいや、私がひとりぽっちになるほうがまだずっとマシ、と思う。

これが恋と愛の違いなのかなあ。

 

日本語は、このふたつをきちんと言葉で区別しているから素晴らしい。
英語では、どちらもひとまとめに「Love」と呼ばれてしまう。

全く性質のことなるもの(たぶん)なのにね。

 

長寿大国「日本」の出身で、しかも女性なので
3つしか年齢差のない夫よりは私のほうが長くこの世にいる可能性はかなり高いと思う。

でもマイケルとなると、20年以上の差があるので
おそらく私のほうが先に逝くだろう。
兄弟のいないマイケルは、私たちがいなくなったら完全に一人になる。
それは、もし明日私たちに万が一の事が起きたとしても、同じこと。
だから、たとえ一人になってもきちんと自分の人生を歩んでいけるよう、マイケルにはとにかく強い人間になってほしいという気持ちが強くある。

 

さてバレンタインの夜、仕事から帰宅すると
私のデスクの上に、、、
バラの花の値段が高騰するこの日。
どうやら予算不足でバラのみのブーケは買えなかったらしい相方(笑)

恋と愛は別のもの1

 

しかも、カードの封筒をよくよく見ると。。。

おやおや?

恋と愛は別のもの2

 

あらら〜 (大笑)

恋と愛は別のもの3

 

なんともまあ。。。
思わず顔がほころんだ。

一生懸命、ひらがなで、書いてくれたんだよね。

しかも、このイチゴも
チョコを溶かして夫が自分で作ってくれたのだそう。

そのイチゴはすっぱくてでも甘くて、とってもホロリとする味だった。

そして何故だか、昼間見たあの老紳士の姿が ふと脳裏をよぎった。

 

こんな事を言うと単なるのろけにしか聞こえないのだろうけれど
私は真摯に、夫を
大して良い人間でもなかった私に神様が届けてくれた
贈り物だと思っている。

その贈り物とケンカをすることも多々あるが(笑)

長く長く大切にしてゆきたいと思っている。

 

バレンタインの日に思ったことでした。

 

 

 

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