やさしくできる権利

(2015年4月4日の記事)

2月のある日、バレンタインの話でクラスが盛り上がった。

アメリカと違って、
日本では、女の子が男の子にチョコレートをあげる日。

学生の半分が、そのことはすでに知っていたが

それがどういった過程を経て、相手の手に渡るのか

私の時代(笑)の、話をしてやった。

それにはまず、日本の学校では校舎に入るときに
靴を履きかえるところから話さなければならない。

なので、生徒全員に Shoebox(靴箱)が与えられていること。

バレンタインの早朝、お目当ての子に直接手渡す勇気のない女の子が
相手の靴箱にそっとチョコレートをしのばせる。

カードを添える子もいれば
自分が誰なのか知られることさえ望まない子もいたり

登校する男の子たちにとっても
バレンタインの朝、靴箱のとびらを開ける瞬間は
ちょっとドキドキもの。。。(だったんじゃないかな?)

そんな話。

学生は興味津々、目をキラキラさせながら聞いている。

こういう話をすると「先生はどうだったの?」と聞く子が必ずいるので

ついでに「ひみつ」 という単語も教えてやる(笑)

かつて

思いを寄せる相手と話もできないという時代が、私にもあった。

幼い10代だった頃
ひそかに恋心を抱いていた男子が
部活でひねったとかで、手首に包帯をしていた。
えんぴつを持つのが辛そう。
そんな彼に

「ノート、代わりにとろうか?」 と

言うことさえできない

そんな時代が私にもあった。

そのずっと後になって
生まれて初めて「かれし」と呼べる存在を得たときに
何が一番嬉しかったかって

好きな人に堂々と、優しくしてもいいのだということ。

相手のために何か出来る自分が嬉しくて

あれもやってあげたい
これをしたら喜んでくれるかな

そんな思いで、相手に向き合っていた

あの自分は、どこにいったのだろう...?

今の私は

明らかに、そういう思いで
夫に向き合ってはいないなあと気づく。

 

さて、その数週間後
救急車でERに担ぎ込まれるという体験をした。

原因は強いウイルス感染による、呼吸困難

その日、相方は夜中から出勤しており家に一人だったので、
おそらく恐怖感も手伝ったと思うのだが
「なんだか息苦しいなあ」という状態から
眠れずに、あれを試したりこれを試したり

そのあいだも私の肺は全力でがんばってくれたが
6時間ほどが経過して
いよいよ、体いっぱいで呼吸しても酸素がうまく体に入ってこない状態になり

「もうダメだ」と、夫にSOS

彼が急きょ仕事をきりあげて家に戻ってきた時には

私はもう動くことも出来ず
床に横たわっていた。

夫はすぐに911をし、私は病院へ運ばれた。

Hospitalそれから数時間のことは、朦朧としていたのでよく覚えていない。。。

 

次第に意識がはっきりしてきて
最初に思ったことは

「どうしよう、、、救急車に乗っちゃったよ」
(アメリカの医療サービスは目玉が飛び出るほど、高いのです)

傍らに、人の気配を感じる。
夫だ。

I’m sorry …

かろうじて発声できるようになった、ぼしょぼしょの声で
まず出た言葉がそれだった。
私の顔をぬっとのぞきこみながら
夫は
その瞳に少し安堵の色をにじませて

Don’t worry honey. You are fine now.

と言った。
救急車が、救急車が、と思いながら
“ambulance” という単語が思い出せず

ふたたび

I’m sorry…

とだけ、かろうじて言う私。
夫は言った。

It’s ok baby. I am glad I can take care of you.

あ、、、

大昔の私が感じたのと
同じこと

療養中は、知人友人が

お花を届けてくれたり、食事を届けてくれたり
気遣いのメッセージを送ってくれたり

家族だけに限らず、たくさんの人の優しさをかみしめて過ごした。

誰かと人生が交わるということは
その人に優しくできる権利を
得たということだ。

この世に何十億といる人類のなかで

自分がそれをできる相手は、

一生をかけても、本当に限られた人数だ。

人に優しさをもらうと、とても嬉しい。
人に優しさを与えられると、もっと嬉しい。

人間って、支えあうためだけに存在しているのではなく
優しさを与えあう
その喜びを
お互い経験するために

こうして共に
ここに生きているのかもしれない。

今回の一件で、それを学んだ気がする

 

 

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