妻の祈り、を読んで

(2012年6月5日)

なんだか、今学期はハワイからシアトルに越してきて以来
一番忙しい学期だったかもしれません。

体力には結構自信のある私も、朝通勤の車中で
目の裏側がじんじんと痛むというか
脳みそがぐわんぐわんと痛むというか

べつに頭痛もちではないのですが
車を運転しながら、そんなことを体感することの多い学期でした。

そんな中、先日みなさんとシェアした夫婦のストーリ

「妻の祈り」

ものすごくたくさんの方が読んでくださって。。。
嬉しかったです。
目の裏じんじんさせながら日本語に訳した甲斐があったなあと
とてもありがたく思っています。

あのストーリーに関しては
あの後も夫と何度か話をしました。

ストーリー中に、登場人物の国籍等は出てきませんでしたが
私はあれを読みながら、勝手に
「アジア人の妻と、西洋人の夫」という夫婦を
頭の中に描いていました。

(そういえば奥さん、旦那さんを罵倒しながらお箸飛ばしてましたよね...)

というのも
愛情表現が曖昧なアジアの文化、

とくに「親」になってからは

「伴侶」であることより「親」としての責任に重きを置く
そういう傾向のあるアジア人妻に、

「愛情表現の物足りなさ」を感じて

西洋人の愛人との情事に走ってしまった西洋人の夫、、、という話を
実は、実話として
けっこう耳にしていたからです。
ぶっちゃけ、生粋の日本人女性として
(私は幼子を世話して育てた経験はありませんが)

子供がいる親の心境としては
「I love you, Honey~~」なんてパートナーとイチャイチャしてるひまがあったら
その前に

子供の健康
子供の笑顔
子供が今日一日を無事に過ごせること

親になったら
これに全エネルギーを注ぐことが「まず最優先!」
...と思うのが
当たり前だと考えていたのですが

そういう思考回路が仇となって
パートナーシップにヒビが入ってしまったという話は

この国に暮らしていて、少なからず
いえ、かなり耳にしているのです。
そして今回、このストーリーを読んで
私もじっくり自分のことを振り返ったことでした。

うちの場合、夫はアメリカ人ですので
(または彼の性格にもよるのかもしれませんが)
愛情表現がものすごくストレートです。

彼が愛情を「10」言葉で表現するうち
私はおそらく「2」ぐらいしか
表現していないと思います。

特に今学期は、あまりにも仕事が山積みで
家にいても夫より仕事のことを考えてることが多く
一日のうち彼と過ごす物理的時間も、とても少なかったように思います。
そうした日々を過ごしていて
それでも、のほほんとしていられたのは

「自分のとなりに居る人が、明日も変わらずとなりに居て、変わらず自分のことを思ってくれる」

という、何の根拠もない前提があったからです。

でも、それは
あくまで「何の根拠もない前提」なのです。

明日、相手が目を覚ましたときどう感じるかは
そしてどんな経験をして、一日の中でどう変化してゆくかは
誰にも分からないことですよね。

「妻の祈り」の奥さんは、最後まで旦那さんを守ろうとした
とても愛情深い女性でした。

でも彼女は、自分がそれだけ旦那さんのことを深く深く思っているということを
日常生活でもっと旦那さん本人に
言葉で、そして行動で伝えていくべきだったのかもしれません。

「言わなくてもわかってくれてるはず」
そう思う傾向にある私にも
これは当てはまるなあ〜と思ったことでした。

努力もせず
手に入れられるもの、維持できるものなんて
きっと無いのですよね。

大切なものなら自分もがんばって
日々命を吹き込んでゆく、ぐらいの気持ちがないと
いかんですね。

思いがけず、自分のおごりに気づかされた
夫婦のストーリー、「妻の祈り」でした。

大事な人には
やっぱり、
言葉で伝えていかないと

言葉は、本来
人と人のこころに橋を渡すために
使うものですもんね

あなたが、大切で

あなたと居ることに私の人生の意味があると

今日も変わらず、となりにいてくれてありがとうと

そんなこと

サラリと言える人に
なりたいな〜〜〜

(まだ修行が足りんとです)

 

 

 

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