妻の祈りから一年

(2013年5月28日)

 

夫の

Wet food time, Kitties~~

という声が聞こえると
家のどこにいてもいつの間にやら集合する うちのやんちゃども。

妻の祈りから一年 1

 

お行儀よく(このときだけ)ウェットフードを待っているの図。

妻の祈りから一年 2

 

その表情があまりに可愛かったので ぱちりと一枚収めた。

 

先週、大学で行われた大きなイベントの運営に関わっていたので
それが無事終わって
この週末は3連休。

なんだかようやく、体も睡眠量も気持ちも「ノーマルに追いついた」感覚だ。

10日ぶりぐらいにブログを訪れて
気がついた。

そう言えば、「妻の祈り」を書いてからちょうど一年だなあ〜 と。

 

「妻の祈り」によせられるコメントは、一時期あまりにも数が多くてお返事が追いつかなかったので
遠慮させてもらうようになってからしばらく経つが

それでも頂いたコメントは もちろん全て読ませて頂いている。

読んでいて、目頭が熱くなるコメントも...
多々あった。

我が子でもおかしくないような若い方から、心の丈を精一杯綴ってくださったコメントを読んで
グッと深く思い入ったこともある。

そして同じストーリーを読んでも
人によって、こうも捉え方は違うものかと
興味深く感じ入ったことだった。

ある方はこれをご自身の親子関係に照らし合わせていた。
ある方はこれが実話か否かということを論じられていた。
ある方はこれを、現在のパートナーとの関係性を改善する突破口と捉えられていた。

私は、というと

これを初めて読んだとき
まず、夫との関係性を振り返った。

それは、2012年5月21日の時点で、彼とのパートナーシップが
自分にとって一番 重要な課題だったからだと思う。

仕事の忙しさにかまけて相手をないがしろにしている、愛情表現が十分に出来ていない
そうした後ろめたさが既にあった故
あのストーリーを読んだとき、自分の中にあった「自信の無い部分」がまず反応を示した。

これをもし、一年後の今の私が初めて読んでいたとしたら
おそらく「子供との関係性」が、まず頭に浮かんでいたことと思う。

それは一年後の、2013年の私にとって
子供のことが一番の重要課題だから。
己の不甲斐なさを痛感させられる事象だからだ。

これを「親子関係」に照らし合わせた方は、きっと「親子関係」で長いこと深く傷つき、悩んできた方なのだろう。

「実話か否か」を論じた方は、きっと過去に「本当でない話(うそ)」にたくさん傷つけられた方なのだろう。

 

「妻の祈り」を 今自分で読み返してみても
変わらずズンと心の深いところに入ってくる。

でも「ツンツン」とつついてくる、その箇所が明らかに違う。

たった一年のことなのに、さまざまなことが変わった。

例えば「やんちゃ」のうちの一匹「ココ」(黒猫のほう)は
私が「妻の祈り」を訳してブログにアップした一年前、私たちの生活に存在していなかった。

もしかしたら、まだ生まれてさえいなかったかもしれない。

でも8月のある日、私たち夫婦を見つけて
私たちの生活にふわりとやってきた。
救世主のようにやってきた。

人間と動物のあいだにも「縁」ってあるのかもしれないな...

無心にウェットフードを頬張るココを見ていて
ふとそんなことを考えてしまう。

 

逆に「妻の祈り」をアップした去年の5月には、まだ私たちと共にこの地上にいらしたのに
今では私たちのもとを離れて お空に帰ってしまった方たちもいる。

一年後の2014年の今頃
果たして誰がまだ私と共にこの地上に居てくれるだろうか。

というか
私は変わらずここにいるだろうか...そんな保証は無いのだけど。

 

やんちゃどもに、とんちんかんな「ウェットフードの歌」を歌いながらごはんあげてる相方に
そんな気持ちをポロリと話してみたら

 「だいじょうぶ、君はまだようやっと人生の半分生きたところだから。」

「え、私って今までの倍生きますか?? その根拠はいかに?」

「だって、君は日本人だから。」

「。。。。。。(^_^;) 」

 

Anyways, 相方の言葉をそのまま鵜呑みにすれば
妻の祈りから20年、30年経ったころも

私はこうして、皆さんに向けてブログを書いているかもしれない。
その頃は、どんな世の中になっているでしょうね。

「妻の祈り」がきっかけで お知り合いになれたのも何かのご縁。
このご縁をもとに、これからの世の中を一緒に体験してまいりましょう。

とりあえず私は、今学期が終了したら(あと2週間)
これ以降は今までのような無茶苦茶な仕事の仕方はやめて
ブログももっと頻繁にアップできるように
大切な人との時間も、もっとたくさん確保出来るようにして

コピー機でダーッと一気に100部印刷するような効率よい人生ではなく

手書きで一字一字、思いを込めて綴るような

そんな面倒くさくて、効率悪くて
でもあったかい毎日を

送りたいなあと願っています。

 

 

 

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